私の怖れ「物言わぬ群衆」観察記録

ブログを閉じてたっぷりと向き合わされた「物言わぬ群衆」に対する怖れとは何だったか記録していたのですが、これは公開したほうがよさそうな気がしてきたので公開します。


「物言わぬ群衆」って何かといえば、イジメに例えるなら当事者を取り囲む何も言わない層。むごいイジメが目の前で繰り広げられていても反発も共感もせず無反応・無表情でいられる層のこと。私はその空っぽの群衆に得体の知れない恐怖を感じてました。


これは向き合って解放しないとねと思い、いつものようにハートに喋らせ、思考が受け止め分析していくというやり方で結論したのは、物理的に暴力をふるわれたこともないんだし「無害無力で怖れるに足らないゾンビのような存在」だから大丈夫ということ。これで8割くらいの怖れ(思いこみ)が解放できました。


残りの2割は何かというと、ゾンビ最終形態(後述)による物理外攻撃を、気のせいとか自意識過剰か?と否定せず、感じたままに肯定する作業でした。性善説派だった私にとってなかなかに痛い作業でしたが、私側にもネガにチューニングしてしまう隙があったので感じ取ってしまったということだと思います。これについては、「住み分け」することが、自分も彼等も生かしながら共存する道だと結論しました。




ネガに傾いたついでにゾンビについて記録しておきます。

▆ ゾンビ観察記1:なぜ空っぽになってしまうのか?

空っぽというのは自分の意思や感情がない状態です。子供の頃、好奇心いっぱいで生きていたはずなのに、家と会社学校の往復をしているうちにそんな心を失って、皆と同じように振る舞う事が最重要という価値観になっていくと、自分の声を無視するようになります。無視されつづけた自己は拗ねて怒って、次第に表現を諦め、遠くの方へ離れていきます。

何を欲しているかわからない、「好き」ってなんなのか分からない、肉体が疲れ果てても気付けない、人の血を見てもどうしたらいいか分からないからとりあえず見ないふり、こういうのは心が遠く離れてしまっている状態です。



▆ ゾンビ観察記2:特徴

伝わりやすい例えとしてゾンビと呼びましたが、感じられない・意見がない」という状態。

◯「感じられない」ので美術・音楽方面には興味がなく、なんなら無駄だと思っている。

◯「意見がない」ので多数意見に流されやすく、他者の意見をそのまま自分の意見のように言う場合もある。この場合、より他者を見下す意見・そもそも論・自業自得論に同調しやすい。

同じ意見を繰り返し重複する事には気付かないので「多数意見」に見えやすい。しかし所詮、他者の意見なので「問題解決にはどうしたらいいか」とか「自分だったらどうするだろう」という多元的な視点は持てず、結果、建設的な意見交換とは無縁の不毛な大地にとどまる。

◯群衆として同期するように教育されているので、同期しない個体をめざとく見つけ追いかけてくるが何もしない笑(ゾンビ最終形態になると攻撃できるようになる)。




▆ ゾンビ観察記3:空っぽの器を待ち受けるもの

空っぽになった器は、ネガティブな意識体には狙い目の器です。潜在的に持っていた傷をつついて「ほら、アイツ見てみろ、金持ちだなー。ところがおまえと来たら」と嫉妬心や自己否定を煽ったり、「おまえはもっと評価されていいのになー、アイツが悪いんだアイツが!」と他人軸・被害者にさせて憎悪を増幅させます。ネガティブな意識体は空っぽな器をコントロールし、支配された器は恰好の「ネガ支局」となり、批判・憎悪をまき散らすようになります(これが最終形態ゾンビ)

分かっていたのに魔が差して・・・という状態や、気付くと愚痴っている状態や、何を見ても批判的悲観的に思える状態などは、支配されているように見えます。

※ネガティブな意識体:低い周波数の集団意識。なぜ支局を増やそうとするのかというと、多分「自分と同じ見方感じ方をしてほしい」という心の動きが集団化したものと思われます。



▆ ゾンビ観察記4:押し殺されたネガ念

ところが日本は(嘘の)調和のお国柄。ネガティブを表現する事や、皆より目立つ事はご法度とされます。表面上はいかにも優しそうな笑顔の鉄仮面をくっつけて、どんどん湧いて出てくる憎悪・嫉妬・批判を押し殺して生きていきます。最大限に熱された圧力釜のようです。

そうして押し殺されて圧を持った念は、ネット上であろうがなかろうが強烈に飛んできます。見える方には生き霊として見えてるのかも知れません。「人様に迷惑をかけちゃダメだ」と思うあまりに押し殺された心が無自覚に飛び道具となってしまってる皮肉。

この押し殺された念が、霊的に生臭い匂いを放つことをご存じでしょうか。魚が腐ったような耐え難い匂いですが、顔面は菩薩のような笑顔というギャップ。心を封じ込める蓋が「周囲と調和するため」という一見美しい目的に見える蓋でも、自分の心を無視して押し殺すとそうなってしまうのです。


こんな事を書くと、じゃあ批判しないようにしようとする人がいるかもしれませんが、それは更に圧をかけるだけです。最良なのは吐き出すことです。穴を掘ってもいい、ブログでもいい、汚い言葉を使ってもいい、誰かを一時的に呪ってもいい、泣いてもいい、叫んでもいい、とりあえず思いのままに吐き出して、心が何を求めていたのか聞き出すことです。


かくいう私も最終形態ゾンビとして夫ゾンビと無言の死闘を繰り広げたり、私のネガ念に取り憑いたネガ念がヒーラーさんに襲いかかるという事件を引き起こしたりしてきましたが、幸運なことに「自分を愛する」という概念に出会え、自己をたぐり寄せる旅路にいます。




▆ じゃあどうするか?1:結局は、自分自身を整えていくしかない

お節介な私は、その鉄仮面を脱ぐと楽になるよ~と知らせたくて己の素顔をまず晒す作戦を考えたりしたのですが、元来内向的な私には失敗でした。

どんな作戦だろうが、誰かが美しい表現をしようが、太陽があたたかく包もうが、目にしたものはすべて批判・憎悪・嫉妬などに着地するようにコントロールされているゾンビには無効か逆効果。とすれば、見えない領域しかない⇒よそ様の見えない領域に了解なく侵入するのはご法度⇒残るは自分の見えない領域。結局、自分を整えていくという事に行きつきます。コツコツ自分に向き合うのは途方もない作業に思えますが意外と楽しく、表だって何かを見せていくやり方よりは私には向いているということかもしれません。


▆ じゃあどうするか?2:若い世代の頼もしさ

加えて、若い世代の軽く賢く調和的なこと!脱線をお許しいただけるならこんなエピソードを披露させてください。古い慣習うずまくとある官公所で、若い職員(どうもクリスタルチルドレンぽい)が古参職員に「いいよねぇ今は古参より先にメシ食っても何にも言われなくてさ~」と嫌みを言われていました。何度となく繰り返されてきた嫌み、いつも「はぁ、そうですねぇ」と流していた若い職員でしたが、この時は突如として歌い出したのです(笑)。古参職員のお気に入りの曲だったので、まんまと乗せられ歌い出し、周囲も巻き込み大合唱となりました。で、歌い終わると何事もなかったように仕事に戻る(笑)

職場で大合唱する是非はありますが、華麗にネガをポジに変換してしまう機転に、私は「これがクリスタルチルドレンのお仕事か~!」と度肝を抜かれました。私、まだまだ重いな~と次元の違いをまざまざと見せつけられた感じで頼もしい限りです。


▆ じゃあどうするか?3:低い周波数があるから高い周波数もある、というのが今の地球

◯周波数はコンディションでいかようにも変化するもの。周波数は「善悪」ではなく、自分がどちらを選択するか、でしかない。「低い周波数クサイコワイ滅びろ!」というのは天に向かって唾を吐くのと同じ。

◯主観を押しつけちゃダメ。私がクサイと思った臭いは、彼等にとっては有用な臭いかもしれない、おまえこそ鼻につく嫌な臭いだと思う人もいたかもしれない。好きな場所で生きればいいんだよね。

◯お互いが平和になるように。陰陽図のようにお互いがお互いを生かしているとすれば共存できる道を探さなければなりません。今回は私にとっては「住み分ける」という方法でした。





REN'S DREAM LOG

最近、毎日はっきりとした夢を見るようになった。 夢は潜在意識からのメッセージ。 忘れないようにログっておこうかな。

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